私がかよった、1年365日まったく休みのない塾の話は前にも書きましたが、その時の同級生と中学卒業以来40年ぶりに会いました。塾に通っているときは、まさか将来交流があるなんて思ってないですからね。OB組織があるわけでもなくみなちりじりになるわけです。私は高校卒業後市大へ。そのまま整形外科に進みます。彼は鹿児島ラサール高校へ進み、防衛医大へ。卒後海軍に入隊し、数年前に内科で開業しました。たまたま堺市内に塾の後輩で防衛医大出身の医師を知り、話する中でつながりができたのです。医者になって、最高にはりこみました。場所は北新地の「湯木」。ここの店主がまた塾の後輩なのです。塾を通じた世界の拡がりに感謝です。お互いそろそろ老いが忍び込んできてますが、目元は変わらないですね。店の迷惑も省みず4時間以上、いろんなわ話題に花が咲きました。ともに思うことは、「時間は少なくなってきているのだから、できることは確実に行うこと」そう人生の総括をしつつ、明日をよりよくするために生きねばなりません。彼のようにウルトラマラソンに挑戦することはできませんが、挑戦者でありつづけたいと思うのでした。