舛添要一が辞任する。どのマスコミも一面で大騒ぎである。今の尖閣のほうが大事でしょう。物事の軽重がわからんのかなぁ。戦争一歩手前なのと、クズ野郎の醜聞と。こんなだから、いつも選挙でババ掴むのである。投票したのは都民やんけ。以前当院が暇だったころ、私は毎月診療所の新聞を発行していた。ちょうど大阪で知事選があり、横山ノックが圧勝した。その時に私はクソミソに府民をけなす意見を書いた。いわく馬鹿であると。わからんかなぁ。あの顔。TVで活躍?してた時から、あの卑しい眼が嫌いだった。私は、人を見るときほぼすべてを顔で判断する。あまり間違ったことはない。年がいくと、余計顔に人品骨柄すべてがでるように思う。週刊誌によれば、幼少時は親を失って極貧で苦労したとか。同じ境遇の人が怒るで。まるで貧乏がわるいみたいだ。貧乏に育った人は、二つに分かれるのか。ココイチの創業者のように、幸せを広く与えようとする人と、舛添のようにすべて自分のものにしようとする人と。物にとらわれる姿が、あまりにも醜く、憐れである。このタイプの人は、充ちるということがなく、不満をいだいたまま死んでいくのだろう。私の父も幼いころに両親と死別し、兄弟のみで生き抜いてきた。その生命力は感嘆すべきものであったが、いつも私に言っていたのが、 「ただ酒は飲むな」ということであった。 すなわち卑しい人間になるな、ということ。いまだ欲のかたまりで、「もうここでいいや」と思えず、生きている私であるが、ただ卑しい人間にならずに済んでいるのは、父のおかげだと思っている。あとはそういう人間を見ても、腹を立てずに、かわいそうにと思える心を手に入れる必要がある。日々努力かな。