小学校の夏休みの宿題に、ほぼ必ず「読書感想文」があります。我が息子も「字数が足らん」と苦労しています。私はこの「読書感想文」が大嫌いです。不要とすら思います。私の父は、教育熱心でした。私が小学生になると同時に、読書感想文ノートを作りわたされました。読書日時、題名、作者、あらすじ、感想を大学ノート1頁に書かされるのです。これを書かないと次の本を読ませてもらえませんでした。私は読書を好きでしたが、このノートの記述がたまらなくイヤだったので、そのうちに本を読まなくなりました。家ではまったく本を読みません。学校の図書の時間でも、一人だけ「少年朝日年鑑」の資料を眺めてばかりいました。資料には感想も、ストーリーもありませんものね。これで先生に注意されたこともなかった。私が本の虫になるには、中学1年生で同級生の「森田君」に出会うまで待つことになります。今でも「森田君」には感謝しています。読書して「あー楽しかった」で何がだめなんでしょう。ちょっと気が利く子供は、感想を捏造しますよ。大人はこう書けば喜ぶと知ってますから。まぁそれもフィクションを書くと思えばいいのかもしれませんが。感想を書くのに苦しむより、乱読するほうが大事なのではと思います。また毎年選定される「課題図書」。これで面白いと思った本を私記憶にないんですけど。ここにも何やら利権の臭いを感じるのは、私の心が曲がっているのでしょうか。ちなみにわが子供たちは、課題図書を選んでことが一度もありません。もちろんこれが正しいとも言いません。それと、学校で「読書感想文」の書き方を教えているのでしょうか?私にはこれも記憶にありません。学校で教えてないことを、宿題にして家庭に押し付けないでもらいたいです。算数でこんなことしますか?「日本語やから書けるやろう」は、それはちがうと思う。跳び箱も、鉄棒もできるようにするのが教師でしょう。素晴らしい感想文を子供たちが書けるようにしてから、じっくりと夏休みの宿題にとして向かわせてください。理科も同じ。実験もせんとって、「理科の工作」を作れだと。無理やて。こんなうわべのことばかりするから、子供の時からネットで調べてばかりで、「コピペ」論文ばかり書く学生や学者が増えるのだ。そういえば私は、小学校の工作はほとんど父が作っていた(苦笑)。