超高齢社会の日本において、医療現場で認知症の危険性を察知するのは重要な課題である。と私は思う。

意味もない(と私は思う)コロナの自粛後、「ヤバイ」患者さんが増えてきた。

患者さんが認知症に進むと危惧する、診察室からの危険信号は以下の通りです。

その前に、私が認知症の最大の予防になると考えるのは「出歩くこと」。これにつきる。

出歩くというのは、毎日初芝の「ライフ」に買い物に来ることではない。

毎日、いろんなところに出かけるということ。

「天声人語」を写すなど無意味。同じことを繰り返すのはだめなのだ。「水戸黄門」のファンがボケやすいといわれることと同じである。

人生刺激が大事。

出歩くには、まず「やつし」ますよね。

髪を整え、普段着ないような服を用意する。それである種の緊張感をもって、「難波」へ出向きましょう。電車も切符が必要です。「ピタパ」は必須。

「難波」はまず初芝と目に飛び込む色が違う。音も違う。人の歩く速さが違う。漂う匂いも違う。高島屋の店内はどうですか、疲れるほどの刺激があるでしょう。

これが大事なんだよ。

翻って、我が診療所はどうでしょう。

まず、御髪が乱れます。「美容院行ってないのかなぁ」。言って悪いが、女子はきれいで初めて女子ですぞ。男もやけど。

お召になる衣服も、いつも同じになります。アイロンを当てなくてもかまわない服地が増えます。

加えて、毛玉や犬や猫の毛がまとわりつきます。

洗濯も億劫になるのでしょうね。少ない年金、水道代もばかにならん。でもね。

そして臭います。案外、医療関係者は、会話だけでなく、衣類や臭いは記憶に残る。

そのうちその方独特の体臭が鼻につくようになります。それが段々ひどくなる。これも記憶に残ります。

換気扇が追い付かないこの頃です。

こういう人の話が、職員の口の端にのぼるようになると、ほぼ1年以内に来院されなくなります。

残念ながら、個人の自由が尊重される(あほかと思うけど)わが国では、アドバイスできません。風呂に入らない自由もあります。アドバイスはハラスメントと表裏一体。

結論

ボケたくなければ、まずきちんと散髪(美容院)へ行け。

毎日風呂に入れ。毎日服を着替えて、洗濯をしろ。せめてリハビリに来る日の前日は風呂に入れ。

他人の目が気にならなくなったら、認知症の入り口と自覚しましょう。

面倒臭くなり、南海電車に乗らなくなったら、自分はボケて棺桶に片方の足を入れたと自覚していいと思います。

薬では治らんで。