昨日の続き入江塾に入ると、毎月のようにクラス分けテストがあります。とりあえずは1組に入ることが目標になります。私は常に1組の下の方でした。灘中を受験して落ちた者も多かった。後から考えれば、能力が開花していない者たちだったように思います。ただ言うえることは上位にいる者は、努力を惜しまないことが共通していました。その中に今回の話の主人公S君がいました。S君も灘不合格組でした。彼こそが努力したと言える人物と、私は今でも尊敬しています。昔のシャープペンシルは金属(真鍮?)でできていました。中3になったある日、S君に数学の質問をして(この塾は同級生や、先輩が教えあうのが普通だった)、何気に彼のシャーペンを見ましたら、指のあたる軸の部分に穴が開いているのです。そうです。彼は「雨垂れ岩を穿つ」、こつこつ勉強するあまり、シャーペンの軸がすり減って、穴が開いたのです!そこまで懸命に、自分の課題と正面から取り組み続けたのです。ここで「なにくそ」と一念発起してS君のあとを追えば、私ももう少し、まともな人間になったかもしれません。「こいつにはかなわん」と思ったところに私の限界があります。少なくとも私はS君のような努力をなし得なかった。だから人前で「努力した」とは恥ずかしくて言えないんです。「努力」とはどんなものか知ったから。私のしたことは、当たり前のことで、努力とは言えません。S君は、当然のごとく灘高校に上位合格し、入学後も慢心せずその努力を絶やさず、「Sは理Ⅲ(東大医学部)に行く」と皆思っていたのに、医学部の6年間が惜しいと、4年で卒業する「理Ⅰ」へ進学、遺伝子工学の分野から、癌撲滅を果たすべく、現在W大学の教授です。今は年賀状のやりとり程度の付き合いですが、S君と出会って、高慢な人間にならなくて済んだことを、心から感謝しています。