夏の全国高校野球岩手県予選で、日本中いや世界の野球界が注目している大船渡高校のエース佐々木朗希君が登板回避した結果敗れたことで、世間が喧しいようである。私は、監督の英断だと讃えたい。高校球児には、一生の思い出として高校で燃え尽きていいと考えている子と、プロや大リーグを目標にしている選手が混在する。どこに視線を置くかである。佐々木君の場合は監督がその先を見据えたということだろう。選手のみならず、監督だって甲子園に行きたいに決まってる。そのために毎日限界まで練習しているのである。悔しいわけがなかろう。それを、学校への苦情の電話が殺到しているとか。「連投が選手を心身ともに大きくする」などとほざく「喝」で有名なクソプロ野球OBみたいなのがいる。こいつらに訊きたい。佐々木君の一生にお前は責任とるんか?その気もないくせに、口挟むな。責任を負うことなく、覚悟のないものの行動・言動は害以外の何物でもない。非があるなら高野連だろう。野球は投手に異常な負担を強いる競技である。それがわかっていて、連投せざるを得ない日程を組むことこそ、罪ではないか。地方大会から変えることなどできまい。本番の甲子園が、連投を強いる日程を変えないから。地方大会が変われば、甲子園の日程に批判が集まることは目に見えている。利権集団の高野連、朝日・毎日新聞がそれを許すはずがない。そして、敗れ去るものの美学に陶酔しやすい日本人気質が輪をかける。過密日程を避けるには、開催期間を長くしベスト8くらいまで分散開催するか、昔のように参加校を減らすしかないだろう。予選はリーグ戦を採用するのも一つの方法だろう。いずれも収益が減るから奴らが抵抗勢力だ。さらに、ここが最大の障壁と思うのが、「日本人の我が町気質」である。都道府県対抗の様相を呈している状況を打破する必要があるのではないか。「危険な暑さですので、屋外へは出ないでください」とアナウンサーが叫んでいるTVで、大人の私利私欲のために、代理戦争のようなことをさせられている球児が不憫である。甲子園がすべてという刷り込みはこわい。
2019-07-27