震災の翌年、診療所の有志などで、再度福島行を決行した。
土曜日の午後出発、また安曇野で一泊。翌朝5時出発だ。
例によってお金を使うことを目的とする。ただ、今回は観光のみを目的とするのではなく、一般人が入れる限界まで近づいた。福島第一原発から半径数十㎞は立ち入り禁止区域だった。現在でも一部帰還困難区域があることは知っておかねばならない。
南相馬への一般道は、ほんと人の姿がない。店もことごとく閉まっている。家屋に人の住んでいる気配がどんどんなくなってくる。洗濯物も干されていない。汚染された土を回収したのであろう、巨大なビニール袋が山積みである。
海に近づくにつれ、1年以上経つにもかかわらず、瓦礫の山がところどころにある。ひっくり返った車も放置されている。
火事場泥棒を取り締まるためか、あちこちで検問を行っている。
立ち入り禁止区域との境では、まさに国境封鎖の体であった。
地図上、海沿いに砂州のような地形があり、道路も通っているのでそこを通過して北上することにした。
徐々に道が悪くなり、土地が海に削られていく。
ついに、道がなくなっていた。津波に洗われて土地がなくなっているのである。堤防も破れていた。ここで再度地震が来たら私は死ぬのだと実感した。
南相馬はことごとく店が閉まっていて、コンビニすら営業していない。唯一、道の駅が営業していた。手作りのお握りが美味しかった。ここで精一杯地元産品を購入。
宿は会津の小さな温泉宿へ。洞窟のなかにある露天風呂が野趣ありまくりでよかった。料理も郷土料理中心で、酒が進んでしかたなかった。当然翌朝も飲んだ。この旅では私は運転しないので、ずっと飲んだくれていた。再度記すが福島の酒は力強く美味しい。
翌日は会津若松城や白虎隊の墓などを訪れ、観光を楽しんだ。
そして1000㎞の道のりを一気に帰った。
私は今でも時々思う。
今見上げている空は、東北へと続いているのだと。
次に東北を訪れるのはそれから数年後、仙台の学会となる。