本日、全国学力テストが行われ、小6・中3の生徒が全員受験しました。
大阪が全国の注目を集めています。高校受験の内申を次年度より今までの相対評価から絶対評価に変更するため、その基準作りに「学テ」を利用することにしたからです。
つまり優秀な生徒が集まる学校の内申7とそうでない学校の内申7では中身が違うから、「学テ」の点数で「イロ」をつけようというわけです。
乱暴ですよね。学校の平均点といっても、成績の分布が統計学上の分布になっている保証はありません。
それにまた4月ですよ。子供たちは夏休みなどを境に人が変わったように、伸びるものです。
教育委員会のいい加減さにげんなりします。

私は声を大にして、心から叫びたい。「内申やめませんか」と。
私は、高校受験についてまわる内申書が、生徒の人間性を破壊していると考えます。子供らしさを奪っていると考えます。
保護者もそうでしょ。「内申」のために子供を人質にとられているようなものです。程度の低い教師に文句も言えない。
その教師は、誰からも非難されることなく、身勝手な論理で教育現場と子供たちの人間性を破壊していく。

はっきり言う。高等教育を受ける現場に、美術や体育の内申が必要ですか。これらどうでもよい(笑)4教科は入試で2倍にカウントされるのですよ。
学問をする場に不要だと考えます。
フランスでは、そもそも体育は学校で教えません!学問と認めていないからです。
スポーツも美術も、したければ放課後自分の意志で行う。学校は学問をするところ。
体育や芸術を学ぶことが人間形成に役立つか。私はYESと答えます。しかしそれは一流に触れたときね。学校の教師が一流ですか。
しかも芸術系を10段階で評価するんですか。才能はなくて、観られたもんじゃない絵画を表わしても、努力したから高評価?おかしない?

教師の内申による呪縛から解放されて、当日の試験一発で決する。これでなにがあかんのか。学校休んで塾通うような奴は、欠席日数を得点から引けばいい。
とにかく生徒には自由で楽しい学校生活を送らせてあげようよ。
どうして、「大変だぁ」という無能な集団の声ばかりをとりあげて、「競争かくあるべし」という論が一切出てこないのか不思議です。
産経新聞!どうした?

ちなみに、私の通っていた大阪市立文の里中学校では、金井という美術教師がいましたが、3年間で教室で顔を見たのは、1回だけ!3年間で。
あとは、そいつは美術教師の部屋でいつも彫刻をしていた。通知表は生徒が自己評価で記入した。テストも3年間で1回だけだった。
たぶん生徒の顔と名前は一致しないままだったと思う。それでも私に何某かの評価がついているわけです。どう思います?
大阪市に情報公開請求をしてもいいのですが、たぶん腹が立つだけだろうし、中学卒業後ずっとぶん殴ってやりたい衝動を抱えてきましたけれど、クズを相手にしても仕方ないのでそのままにしておきます。もうこの世にいないかもしれないし。
上谷という体育教師もクズやったな。不良には甘かった。学年主任があきれる。懸垂の数で通知表をつけやがった。教師なら懸垂のうまくできるコツを教えんかい。ドリルだけ配る数学教師がおるか、〇〇!
そういえば、呼び出されて(理由不明)「塾なんかやめろ」といわれたこともあった。
日教組なんかな?、学問への劣等感の裏返しなんか?

結論: 程度の低いやつに評価されたくない。
    中3卒業時には、教師の能力をはるか凌駕する生徒がいることを覚えておいてくれたまえ。
    とにかく、内申なんて不要である。人質とるな。