私は経験ないのですが、武道が好きです。

勧めたわけでもないのに、長女は空手、次女は剣道、長男は柔道を経験しました(一部現在形)。

最強の格闘技は何かとはよく話題になりますが、柔道はけっこう最右翼となるのではないか。受け身を知らない人が路上で柔道の技をかけられたら、普通に死ぬと思います。

その柔道ですが、五輪などで行われるのは、加納治五郎が編み出した「講道館柔道」です。いわばスポーツ化した柔道ですね。階級別だし、見栄えのいい立ち技が基本だし。

ところが戦前、柔道はもともと寝技、関節技、締め技を駆使し一本取る以外、勝負が決しない「高専柔道」というのがあったのです。

「高専」とは昔の「旧制高校」「旧制専門学校」のことです。「一高」「三高」が東大や京大に吸収されたのはご存じのことと思います。

大東亜戦争敗戦後、GHQによって日本では武道が禁止されました。学制が大きく変わったのもGHQによってです。柔道は「講道館柔道」が主流になりました。高専柔道は行き場を失い、南米や各国で「柔術」などの格闘技として生き残りました。もとは日本が本家の柔術に日本の格闘技ファンが熱狂しているのは面白いですね。

ところが今も「高専柔道」が生きている世界があります。なんと東大をはじめとする「七帝大」対抗戦です。

東大、京大、阪大などの柔道部は、ただひたすらこの「七帝戦」に勝つためだけに、大学生生活のすべてをささげているのです。

試合形式も変わっていて、15人ずつの殲滅戦です。一本勝か引き分けしかありません。強い相手には引き分けを狙い、とにかく負けない柔道を目指す。締め技で失神しようと、関節技で脱臼しようと、絶対「参った」を言わない。壮絶な戦いが行われます。

「練習量がすべてを決定する柔道」なのです。

そのわくわくする七帝柔道を鮮やかに描いたのが増田俊也氏による「七帝柔道記」でした。あまりの壮絶な毎日に、鳥肌が立ちそうになり、あまりのばかばかしいまでの真剣さに笑い、そして胸打たれ気づけば涙があふれていました。

「つらかったら、止めてもいいんだよ」というわかったような甘言が幅を効かす現代において、理屈でなくとにかく歯を食いしばって、頑張りとおすことは大事なのではないかと思います。

そういえば私が中学3年間通った学習塾に通じるところを感じたり。

63歳になって、青春小説(自伝ですが)に感動するとは思わなかった。続編が11年ぶりに出版されました。読まねば。

そして7月に名古屋で行われる七帝柔道。絶対観戦すると心に決めたのでした。