昨日診療後、嫁さんと倉敷へ走った。小学生時代からのかけがえのない親友M君が川崎医科大学に入院しているのである。彼とは小学校からの同級生である。平成25年に亡くなった、同じく同級生で精神科医のジョニー久保田http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2013/11/cbt-6c00.html(彼のブログは消去されたみたい。)とともに、お互い「銀の匙」を咥えずに生を受け、成り上がるために!努力しあった戦友である。中学校も同じ。高校、大学は違ったがみな医師として、世のため人のため家族のために必死に生きてきたM君は5年前にすい臓がんの手術を受けた。奇跡的に5年生き延びていた。それが無理したのであろう、3月に倒れた。大阪市立大学に入院。こんな時所属する医局は優しい。彼によると「3度死ぬと思った」。このたび体調が落ち着いたので、住まいのある倉敷に戻ったのである。初めて見舞ったとき、私の動揺を隠すのに必死だった。「ブー」(中学時代からのあだな。今もつい口に出る)は見る影もなくやせ細った。3か月ベッドで過ごすと、筋肉がことごとく削げ落ちる。幸い、転院後がんの転移ではなかろうという結論になり、ほっとしたのであるが、まだ定期的に腹水を抜くことはやめられない。リハビリもまだ緒に就いたばかりである。すこし元気になった彼を、馬鹿話で盛り上げ、私が元気をもらった。死んでたまるか。彼は苦労をかけた奥さんに、何のお返しもしていない。ジョニーに続いて、Mも失うなんて、私には耐えられない。元気になったら、「鰆」のお造りを倉敷で食すことを約束して、帰阪した。川崎医大の、Dr、看護婦(あえて看護師といわない)は土地柄でしょうか。癒されました。医療関係者が大切にされる土地なんだと思う。私も、もう少し生きてみたいと思います。
2017-07-02