だんだん、ボケが進行しているようです。13の次は14であることは、小1でもわかりますよね。14冊目の本の紹介を忘れておりました。大阪人からしたら、なんやとっつきにくい京都の話です。私も京都はどうも苦手で、遊びに行っても、落ち着かない、座り心地の悪さを感じます。まぁ、私なんか、天王寺より北に住んだことがないからね。余計かも。もともと私は京都が嫌いでした。歴史があるか知らんけど、ちょっと取り澄ました感じで、街全体がほかの町の人間を見下しているよな感じがしていたからです。また古都税を京都市が徴収しようとしたときに、ことごとく有名寺が拝観停止し、ついには役所を負かしましたね。あの時から、坊主どもの強欲ぶりに頭に来て、京都を避けてきました。あほですね。大人になり(成人したという意味でなく、自分の甲斐性で遊べるようになったということ)、花街に連れて行ってもらう機会も得、京都の持つ奥深さを思い知らされるようになりました。もちろん、ほんの端っこをかじっただけなので、偉そうなことを言うつもりはさらさらありません。まぁ、味わうには十分深い街やでということです。でも見下され感はついて回ります。そこで出会ったのが、紹介する14冊目の本。 京都ぎらい 井上章一著 朝日新書著者は建築科出身でありながら、日本のいろいろな文化を研究している方で、以前よりTVにもよく出演され、大阪弁とはまったく異なる、独特のあくの強い京都弁(と私は思っていたのに)で、少し斜に構えた語りが魅力の先生です。私から見れば、京都で生まれ(これが京都生まれとは言えないという恐ろしさがあるらしい)、京大でて、京都で暮らし(これも京都やないんですと)、何の問題もなさそうなんですが。ここまで鬱屈した感情をお持ちだとは。そこでまず思い知らされるのが、「洛中以外は京都でない」ということ。伏見や嵯峨、宇治は京都じゃないのです。これだけで京都人が嫌いになります。大阪で言えば上町台地周辺以外は大阪と違う。と言っているようなものですから。筆者はその基準でいけば京都人ではなくなり、1冊丸ごとばったばったと京都をなぎ倒します。やはり坊主のことをけちょんけちょんに斬り捨てるのはいたしかたないところでしょう。哲夫さんの仏教のはなしとはあまりに離れていますね。るるぶ的京都を好きな方は、一度手にされ、そして再度お寺巡りをされることをお勧めします。