阪神淡路大震災から25年経過しました。

あの惨劇を忘れないのはいいことだと思います。本日の新聞は震災一色でしたね。

ただ私には猛烈な違和感があります。「残された命を大切に」だとか「私たちはこう健気に生きました」とか。それではあかんやろ。災害関連死を除けば、なぜ5500人もの人が亡くならなければならなかったのか。ここを厳しく追及する必要があるでしょう。

まず、当時の兵庫県知事は自衛隊への応援要請を渋った。自衛隊が兵庫県を通過することを渋ったことのある知事です。どんだけ自衛隊が嫌いだったのか?

明らかに初動が遅れました。今の憲法では、自衛隊は命令なしでは勝手に動けません。

また総理が村山富市という、どうしよもない愚物でした。「何せ、初めての事じゃけん」と言ったとか。総理官邸で、燃え盛る神戸をテレビで眺めていたのでしょうか。

また今の日本には私権を制限する法律がありません。どこまで個人の権力を優先したら気が済むのか。

避難するための自動車であふれかえった幹線道路は、緊急車両の通行を妨げました。生きていたのに、救助が遅れたためにどれだけの方が亡くなりましたか。私たち国民も、ある意味加害者です。

25年、日本は災害への備えができたでしょうか?マスコミが言うのは「水食糧を用意しましょう」「避難路を確保しましょう」など。枝葉の話に終始する。バカじゃない?ちがうやろ。

犠牲者を最小限にして、いち早く復興する道筋をつける法体系が必要なのと違いますか?南海トラフ大震災が起きたらどうでしょう?大阪人が、東北の方々のような自制した行動をとれるとは思いません。どこぞの後進国の暴動のような阿鼻叫喚の地獄絵を想像するのです。

もうそろそろ、国民を甘やかすのはやめたほうがいいのではないですか?

この国には、クズが増え過ぎました。民主主義の宿痾ですかね。