今日は偉そうなことを書く。私は縁あって、鳴尾ゴルフ倶楽部というゴルフ場の会員である。ゴルファーなら、一度はプレイしたいゴルフ場の一つであるらしい。あるらしい、というのもその値打ちがわからないまま縁あって入会させてもらったのである。失礼な話だ。親戚からも「20年早い」と言われた。鳴尾にふさわしい人間になるべく、ゴルフの腕のみならず、すべてのふるまいに注意研鑽してきた。おかげで、一生の友を得て鳴尾へはゴルフをするだけでなく、そこで至高のひと時を過ごすことが私の心のオアシスとなっている。ラグビーや医師会の用事でプレイする回数が減っているのが残念だが、しかたない。昨日は、その鳴尾ゴルフ倶楽部でジュニアゴルフスクールが会員の子弟向けに開催された。塾もラグビーもなかった愚息を参加させた。もちろん彼をプロにする気も、ゴルフをさせる気もない。「伝統」「一流」「エスタブリッシュメント」を感じてほしかったのである。鳴尾は96年前に開設された日本で4番目に古いゴルフ倶楽部で、しかも皆個人の資格で入会する。法人会員などという会社の経費で入会する人はいない。権利を譲ることもできない。クラブを去る時は死ぬときである。だからそこで得た仲間とは一生の付き合いなのである。その心地よさは他人にはなかなか伝わらない。何でも平等で、今くらいの格差でもこんなに大騒ぎする日本。世界の非常識である。鳴尾では医師は下層階級である。毎日一生懸命に働いているようではだめなのだ。親が医者というだけで学校で「金持ち」といわれてうんざりしている息子にとって、そこから解放されるありがたい時間だった。昔から関西では「ええし」といった。私は彼に「ええし」を感じてほしかったのである。もし子供たちに「医者は金持ち」と教えている人がいたら言いたい。「もっと世間を広く見ろよ。」と。自分が死んだら家族が路頭に迷うような家は「ええし」でないのである。スクールは10時から(私は別に8時からプレイしたので、彼はひとり)鳴尾の歴史を学び、それからレッスン。所属プロである水善典さんに指導され。昼からは本コースをプレイさせていただいた。10人ばかりの子供たちのために、多くの理事の方が参集してくださった。なんとぜいたくな。そして閉講式。スマホをいじっている馬鹿は一人もいない。よほど緊張をしていたのでしょう。帰路の車中は寝息をたて、帰宅後もいぎたなく眠った彼であった。今日集まった子供たちは、顔つき、物腰すべて普段見かける子供たちと異質であった。それは愚息も感じたよう。あくせく金を稼ぐだけでは得られない「何か」があるのである。数世代かけてそれを獲得する覚悟が私を含めて、求められていると感じた一日だった。幸いこの国はそれが可能だ。あとは自分を犠牲にする覚悟次第だろう。そして日本に足りないもの。それは「エスタブリッシュメント」が「ノブレス・オブリージュ」を発揮しないことである。国難には率先して自らの命を国のために捧げる覚悟がいるのである。だからこそヨーロッパでは彼らは支持されるのである。そうでない日本は、ただの金持ちだ。「滅私奉公」これも私の座右の銘である。親子ともども、よい一日だった。