今では私は、常に手許に本がないと落ち着かない人間ですが、中学に入るまでは読書が大嫌いだった。これは父に読んだ本全てに読書感想文を書くよう、強制されたことによる。本を読んで感動することと、それを文章に表すことは全く別物だ。感動すればすぐ次の本を読みたいじゃないか。たまたま小1の時に感想文コンクールで受賞したことがあって、父が勘違いしたのかもしれない。とにかく、図書の時間は苦痛でしかなく、毎回「少年朝日年鑑」というデータ集を眺めていた。おかげで、ジャガイモの収穫量や、魚の水揚げには詳しくなった。それが中学で、森田理典君という本の虫を友に得て、競ってへんてこりんな本を読んでいるうちに勉強そっちのけで本を読むほどになった。あだ名がマンボウだったから、必然的に北杜夫先生から入っていった。「奇病連盟」が記念すべき1冊目である。「楡家の人々」も難しかったが、大人の世界をのぞき見しているようで食事するのも時間が惜しかった。その時にはすでに医師になろうと考えていたから、真剣に東北大学へ行きたかった。今でも行けばよかったと思っている。高校では先輩にあたる遠藤周作さんの著作をまず読んだ。1週間に6冊読んだこともある。貧乏だったけど、好きなだけ本を買わせてくれた親には感謝している。このころは実際小説も書いてみて、小さな賞ももらった。「渡辺淳一」を夢見たんだけどな(泣)。ノンフィクションも多く読んだ。講談社現代新書やブルーバックスはちょっと背伸びした感じがして、気持ちよかった。先日息子が漢詩を習っているというので、45年前に買った「新唐詩選」を渡してやった。本は捨てられないのである。だいたい読書感想文とはどういうもので、どう書くものかを教えずに、「やれ」は教育の怠慢ではないか。ぜひ、子供たちには読書感想文を強要せず、好きなだけ本を読ませてやってください。