スポーツが生きる勇気を与える。
そんなわけないやろ、と考える人が多いと思います。でも私はそれが真実であると知っています。
平成8年1月、末期のすい臓がんを患っていた父は、抗がん剤の副作用の辛さと、体力の衰えなどで家に閉じこもりがちでした。
私は思い立って、以前から正月の楽しみである高校ラグビーに、父を連れて行きました。母は「風邪ひいて体調崩したら」と心配していましたが。心の健康こそ大事です。
ルールも満足に知らない父でしたが、「泣き虫先生」で有名になった伏見工業ラグビー部の山口良治先生のことは知っていました。
1月3日準々決勝、伏見工業VS相模台工業戦です。誰の目にも伏見工業は劣勢でした。しかし彼らの敢闘精神は最後まで素晴らしかった。自陣ゴール前から、果敢にパスを回し、正面から相模台にぶつかっていきます。遠くの彼らの骨の軋みまで聞こえてきそうな激しい試合でした。
試合後「来年もまた来る」と父。彼らの姿が父を力づけたのでした。
父の思いは残念ながらかないませんでした。
それから14年たった平成22年の秋。
娘の中学合格祈願に、八幡の石清水八幡宮を訪ねました。偶然にもそこに伏見工業ラグビー部が同じく必勝祈願に来ていました。
遠方に山口先生の姿を見つけた私は、我を忘れて先生の元へ走っていきました。先生の前に立った私は、一言も発せずただただ号泣しました。身も名も知らぬ男がいきなり自分の前に来て泣き出しては、さぞ驚かれたでしょう。先生は何もおっしゃらず黙って私を見ておられました。私は14年前の父を勇気づけていただいたことをただただお礼申し上げました。
先生は微笑んで傍らにいた息子の頭をなでながら「君も大きくなったらラグビーしてや」とおっしゃいました。叫びたいくらいに嬉しい瞬間でした。
3人で撮った写真をラグビー部あてに送りましたところ、先生から直筆の墨書鮮やかなお返事をいただきました。私の宝です。
その半年後、泣き虫のあかんたれだった息子は、堺ラグビースクールでラグビーを学ぶことになります。それがもとで私もラグビーと縁ができ、今も関わっています。
第104回高校ラグビーは27日に開幕します。初日に伏見工業改め京都工学院は伝統の真紅のジャージで登場します。休みに入るまで勝ち残ってほしい。
花園で山口先生の姿を探すでしょう。
試合観ながらきっと泣く。隣の人は迷惑やろけど。