東日本大震災の際、歴史に残る「平成の玉音放送」を為された平成天皇がご譲位された。そして令和が始まった。

上皇陛下が被災地への鎮魂の旅を続けられ、私も恐れ多いが、陛下のご意思を継がねばと考えた。今上陛下のご即位の礼の連休を利用して、家族で東北被災地の旅を敢行した。

突如「医師になる」と言い出し、しかもなぜかわざわざ東北を勉学の地に選んだ次女が住む岩手県へ飛んだ。花巻空港で落ち合う。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

今回の旅も被災県をこの目で見、感じ、そして現地で金を使うことを目的とする。

まず遠野へ。関西のあっけらかんとした文化とは明らかに異質。ただなつかしい。

一泊目は宮古だ。震災の爪痕はだいぶ薄れているように見える。遊覧船に乗り、三陸のリアス式海岸を堪能する。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

翌日はそこから南下。大槌町、釜石市、陸前高田と被災地を廻る。やっと開通なった三陸鉄道にも乗車。メッセージの書かれた車体に涙がにじむ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

秋にワールドカップラグビーが開催される鵜住居スタジアムは、前年訪ねたのがうそのように、駅周辺は賑やかになっていた。

ただ大槌町にもあった、海をまったく見えなくする巨大な防波堤は心を重くする。

車を走らせるとあちこちに「津波到達地点」の標識。こんな高台にまで。

陸前高田は破壊しつくされた市街地全体をかさ上げしている最中。震災後8年である。一軒の家もない真っ黒で広大な土地に、電柱だけが林立する。人は本当に戻るのか?行く先々で心が暗くなっていく。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

二泊目の気仙沼も、きちんと区画整理された土地の宿であった。料理ももてなしも申し分なし。ただまわりに建物はほとんどない。

翌日訪れた、津波に襲われた気仙沼向洋高校をそのまま展示した、東日本大震災遺構・伝承館は言葉を失った。なぜ三階の教室に車がある?屋上からはるかにみる海が3階まで押し寄せてきたのか?

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

私たちはあまりにも何も知らずに無責任に過ごしてきたのではないか?

85歳を超えた母から、13歳の息子まで投げかけられた問いかけに無言になる。

そして何より感じたのは、被災地の広大さであった。宮古から気仙沼まで被災した海岸の一部である。それなのに車を飛ばしても非常に時間がかかる。さらに宮城、福島まで。これは現地へ行って初めて得た実感であった。東北の広大さと、その地域を壊滅させた地震被害の大きさに打ちのめされた旅であった。

復興支援は終わらない。いやそんな偉そうなことでなく、常に気遣う気持ちを忘れてはいけないのだ。