高市早苗新総裁の誕生によって「ワークライフバランス」が俎上に乗っている。

ワークライフバランス。人生において仕事をどう位置付けるかと言えばいいのか?

この発言で、また馬鹿マスコミや、「人権派」弁護士が嚙みついている。

馬鹿である。

何かをやり遂げようと思えば、自己を犠牲にしなければかなわないのである。

もし高市さんが総理になったとして、週休二日で9時から17時の毎日を送れば、日本はどうなるのか?きっとマスコミは揶揄するだろう。

瀕死の日本を良くしようとすれば、全員死に物狂いで働くしかないのである。

医療だってそうだ。

医師も「働き方改革」から免れなくなった。いつから日本は労働者の国になったのだ。

現に、週末の勉強会に出席する若手医師は激減している。

手術が長引いたら17時以降は術者が交替しても国民は許すか(ドイツはそうである)。休みの日に様態が悪くなっても、主治医が姿を見せずとも納得するか?

すでに主治医制を廃した医療機関が出始めている。

今回のノーベル賞でもそうである。高市発言をあげつらう新聞テレビが、彼らの昼夜を問わない研究姿勢を称賛する。

国民はどう思っているのであろう。

社会に影響力を持たない多くの人はワークライフバランスおおいにけっこう。

ひどい言い方をすれば「替えがきく」のである。

しかし社会の上に立つ者はそうではいけない。

ノブレスオブリージュ「高貴なるものの義務」である。

そのかわり彼らが社会的に経済的におおいに報われる世の中を構築してほしい。

それをやっかんだり、ひがまない国民性も大事である。

自己犠牲を厭わず、すべてに高みを目指す人の存在を、認めることが必要だ。

自分とは違うのだと。