開業医は、診察時間以外は暇で、ゴルフの打ちっぱなしや昼寝で時間を過ごしていると思われている方も多いようです。

正直申し上げて、私ほぼ過労死基準ぎりぎりで生きております。コロナまでは基準を超えておりました。

今も診療所経営に役立たない公務を九つばかり引き受けております。

もっとも、公務はおろか勉強会にも一切顔を出さない開業医もいるので、世間の見方が間違っているとは申しません。

その公務のひとつ、先週末は大阪市大(現公立大)整形外科開業医会の総会でした。

一大学の開業医の団体は全国に二つしかありません。私たちは53年前に発足した会です。医療知識技術の向上と会員の親睦を目的とします。

その会長をコロナ禍の真っただ中に引き受け5年間務めました。それを退任したのですが、会員間の世代間断絶を痛感したのでした。

私たちは、医者になってすぐ〇〇科を志し、研修に励みました。指導医の先生には金魚の糞よろしく、トイレも一緒しました。手術日は夜遅い晩御飯を一緒に食べ(奢ってもらいました)、真夜中のガーゼ交換も一緒でした。まさに手取り足取りでした。

ところが20年ほど前でしょうか、新研修医制度が始まり、研修医にしっかりとした給与を出し、なぜか9時から17時までという制限ができました。私の頃は時給1020円で週30時間の支払いが上限でした。

ですので彼らは、指導医の薫陶を受けることなく、医者になっていきます。

開業医会ではこれが大きな足枷になり、後輩諸君との連帯が築けなくなりました。

まず一緒に食事したがらない。私たちの苦労話(これが役立つのだが)は自慢にしか聞こえないらしい。

この5年間で、私は後輩諸君への知識の伝達をあきらめました。

教科書の載らない、機微に触れる事柄はこれから伝わることはないでしょう。儲けにはつながらないからね。

これからは一兵卒として、会の運営に協力するのですが、煙たがられるのがオチ。

診療所で、自己満足に浸りつつ、懸命に診療することといたします。

総会の後、奥中津(中津もびっくり変身)で会食をしましたが、若手の参加はゼロでした。文化が世代間の継承だとすれば、医者の世界は終わったかもしれません。