今の大学センター入試に代わる新制度が、英語の民間試験導入をきっかけに延期された。

当然だし、よかったと思う。反対運動を展開していた築駒の生徒さんも胸を撫でおろしているだろう。

まず私は、大学入試に何故英語の会話能力が必要なのかがわからない。私はからっきしだから僻んでいると思ってもらってもいいのだが、そもそも英会話は学力か?

学問の世界、政治の世界、ビジネスの世界で必要なのは、書かれている文書の読解力だ。会話能力はあったらいいよねくらいだろ。首脳会談は必ず通訳を通す。

英語を聴く、話すの能力が大学入試の一定の割合を占める理由がわからない。これはずっと以前にも書いたことである。司馬遼太郎先生は、「英会話のうまさは性格による」と書かれた。外国人になりきれる性格が必要なのだと。

また民間試験に頼る危うさ。どれを受けてもいいなんて。基準がバラバラやん。業者は儲けたいから、当然入試に有利になるように、試験問題を変化させるよ。受験産業だって「○○」の試験が入試に有利って調査するでしょ。却って平等でなくなる。

それに民間試験、受験料が高すぎる。大学に通るまでにどんだけ受験料支払うん?

萩生田大臣の「身の丈」発言は、下品だけど本質をついている。昔から裕福な家庭が受験に有利なのは当たり前。それくらい克服しろよ。貧乏人は家族全員水を啜って、勝利に邁進すればいいのである。私がそうだった。これはいつか書く。

貧乏人が一代で成り上がれるわけがない。ただし大学受験は貧乏人にも優しい制度であるべきだ。今の受験料は高すぎる。学費も。

共通試験そもそも必要ですか?大学が必要と考える人材はそれぞれ異なるでしょう。個性的な人材が必要と、いつも言ってるじゃないか。それなら横着せず、各大学が独自の試験を課し、また受験生は真剣に何を学ぶか考えて、自分にふさわしい大学を選び、それに向け必死の努力をすればいいのである。

共通試験を廃止すればその分受験料は安くなる。一期校、二期校を廃し何かいいことがあったのか。

制度を整えたように見えて、何ら高等教育に寄与しない試験制度なんかやめちまえ。一発真剣勝負でいいのである。

まともな大学運営もできていないくせに、偉そうに答申を出すな。また貧相な脳みそがたまたま議員であるからと言ってごちゃごちゃ言うな。

試験は一発勝負。それでいいのである。言い訳無用!