親からは「人に物事を頼まれたら絶対引き受けろ」と言われ育った。

中学に通った学習塾(私の人生の根幹をなす塾)でも、「机にかじりつく奴はだめだ。人の嫌がる雑用をすることが人間を強くする」と教えられた。

だから私は頼まれた仕事は断らない。

開業25年、ほぼずっと雑用をこなしてきた。還暦を過ぎてもそれは変わらない。当然そのすべてが手弁当である。

今も医師会の広報委員、市役所職員の公務災害審査委員、身体障碍者区分認定員会分科会委員長、柔道整復師(整骨院)請求審査委員、堺市整形外科医会理事(元会長)、大阪市大整形外科開業医会現会長、大阪公立大学整形外科同門会副会長、大阪府ラグビー協会医務委員、堺ラグビースクール医務委員(元医務委員長)である。漏れがあるかもしれない。

ほぼ年中何かの仕事がある。会議が夜11時におよぶこともある。週末もない。

今は会長をしている市大整形外科開業医会が創立50周年を迎えるので、その記念式典準備に自分の自由時間をほぼ費やしている。同門会の法人化事案も待ったなしである。今月中に仕上げるべき原稿が4本ある。もうすぐ発行される医師会の広報誌にも原稿を2本あげた。衰え始めた脳みそが沸騰しそうである。

後悔はないよ。最近の疲れはたいがいやけど。

誰かが、お世辞にせよ、私を頼ってくれたわけだから。

これらの仕事をやり遂げたからと言って、叙勲されるわけじゃない。

でもきっと私の死後、子供たちが「とんでもない父親やったけど、世のため人のために生きとったなぁ」と少しわかってくれればそれでいいのだ。
必要とされくなった時、スパッと引退する。

そして障碍者のボランティアをするのが私の夢だ。

最期までカッコつけて生きてやる。