震災直後から全国に広がった自粛の愚を徹底的に批判していたのが故勝谷誠彦君だった。彼とは高校の同級生であったが、当時接点はない。生徒会会長選挙の時に彼に一票を投じたくらいである。選挙運動で弁当時間にお茶をついでもらった。

その自粛の愚に私も大いに共感していたのであるが、その彼から同級生に、ただ散財するためだけに福島へ行こうとネットでの呼びかけがあった。阪神大震災の時と異なり、インターネットの発達が目覚ましく福島原子力災害の状況を逐一知ることができたし、震災後私はネット通販の恩恵を受けることになる。

家族で福島を訪れたそのひと月後、有志は会津の宿に集合する。関西から参加したのは私だけあった。物好きである。福島空港からは乗り合いタクシーで向かった。乗客は私一人、申し訳ないような料金で運転手さんを独占し、たくさん話をした。

「ただ飲み食いして散在するおっさんの会」

わかったような話も行動も全くしない。ただひたすら飲み食いして観光をする。

それだけ。

さすが全国の酒蔵を巡るエッセイを書いている勝谷君らしく、選んだ宿も渋かった。とにかく酒が進む料理が次々でてくる。翌朝も朝から2-3合飲んだ。

福島は酒どころである。私が一番好きなのは二本松市の「大七」。いつもネットで購入する。

宿を出て見学したのがめったに手に入らないことで有名な「飛露喜」の蔵元だった。昔ながらの製法で、量産しない酒蔵である。蔵の中のお座敷で会津の「小づゆ」を馳走になった。新酒もいただいた。

ちょうど福島では稲穂が黄色くなり垂れる時期であった。磐梯山を背景に広がる黄金の稲田。大阪の稲は緑がかっている。福島のそれは黄金だった。日本の原風景を観る思いがした。

ちょうど彼岸桃と言って、桃のシーズンだった。福島の桃は皮ごと食べる!とTVで観たので試してみたら、美味であった。表面の産毛も気にならなかった。いろいろな人に送った。

私は飛行機の関係で早く離脱。喜多方からレンタカーを飛ばし福島空港へ。機材故障でフライトがなくなり、郡山までタクシー、そして東北新幹線経由羽田からの最終便に飛び乗って何とか帰阪するというおまけまで。晩飯は食べそこなった。

この旅に参加した仲間は今も多くが被災地復興に関わっている。と言っても肩肘の張るものではなく、交流会への参加とか、果物の採りいれとか。

それでいいのだ。日本国民が被災地のことを忘れていないことを示し続けることが大事なのだ。

現地には台湾からの寄付で再建された病院もある。日本人が忘れてはならない。

またこの旅で勝谷君と親しくなり、その後2度も中百舌鳥のジバシンで彼にに講演をしてもらうことになる。