以前にに比し、神社で二礼二拍手一礼をする人が明らかに増えている。また鳥居や正門をくぐる際に一礼する人も増えている。テレビなどで説明する影響もあるのだろうが、いいことである。

日本人は優秀だから正しいと理解すればすぐ実行できる。

ただし自ら考えるのでなく、鵜呑みにするから滑稽な習慣が幅をきかす。マスク着用が身に沁みて、車を運転するときまでマスクするなどいい例である。「私は馬鹿です」と言ってるようなものである。

神社の話題に戻すと、参道の真ん中を歩く人が依然多いのに気づく。参道の真ん中は神様が通られるから、私たちが歩いてはいけない。常識である。

ひるがえって、最近、道でも廊下でも、真ん中を歩く者の多さに閉口する。百貨店でもそう。私の行くスポーツクラブでも狭い廊下を、筋肉自慢の馬鹿が真ん中を歩く。筋肉が多すぎて腕が外へ飛び出しているので、邪魔で仕方ない。

筋肉しか鍛えていないので、脳みそに栄養や酸素がいきわたらないのだろう。可哀そうである。

残念だが、親の教育の問題だ。

自慢の筋肉と、馬鹿をさらけ出している得意げな顔と。親に何も教えてもらえなかった彼らに、心から憐みの気持ちを持って見つめている。

教育や躾は社会で生きるのに何より大事である。

そういえば、狭いところですれ違う時、肩を引いて半身になるのは常識だと思うが、これをする人が少なくなった。特に女性に多い。と今晩食卓で語ったら、なんと家族全員が同意した。

これも親の教育か?いくら化粧で誤魔化し、ええべべを着飾っても、メッキにすらならんのである。これも哀れを誘う。顔に表れる。「気品」ですな。

女性蔑視というなかれ。事実(だと思う)である。ただし、診察時、あいさつに返事すらしないのは男に多い。医師も値踏みしていることを理解したほうがいい。

挨拶して、控えめな行動をとって、損することはない。

亡父は「電柱にも挨拶せよ」と言っていた。至言である。